土とともに歩み、支え合い、夢をつなぐ──。やさしい時間が流れるその場所で、家族と人々の物語が静かに紡がれている。

八剣山に抱かれた「ふれあい」の理想郷
札幌市南区、八剣山を望む静かな里山に「砥山ふれあい果樹園」がある。季節ごとに表情を変える果樹畑には、四季折々の実りが広がっている。農園を支えるのは、園主・瀬戸修一さん、トルコ出身の妻・メラルさん、そして娘のエミーレさんだ。異国で出会い、深い絆で結ばれた家族が、力を合わせてこの場所を守り続けてきた。
修一さんは幼い頃から農業に親しみ、一度は東京で暮らしたが、45歳で故郷に戻り、再びこの地の土を踏みしめる決意をした。2002年、修一さんが園の名に込めたのは、「土と人、人と人がふれあい、支え合う場所にしたい」という願いだ。かつては養鶏と果樹の兼業農家だったが、今では札幌を代表する観光果樹園へと成長した。プラムやハスカップなど、季節ごとの果物狩りが楽しめ、収穫期には多くの家族連れで賑わう。その名の通り、地域に愛される存在となっている。

逆境が生んだ、新たな光
そんな穏やかな日々の中、思いがけない試練が訪れた。十数年前、修一さんが大病を患い、農業に携われない日々が続いたのだ。大黒柱を失った家族に残ったのは、不安と孤独。文化や言葉の壁に何度もぶつかりながらも、母と娘は懸命に果樹園を守り続けた。
メラルさんの胸にあったのは、「前向き。前向き」という祈りのような心の声だった。この言葉が困難な状況を乗り越える力をくれたのだ。前向きな家族に手を差し伸べ、救ってくれたのは、他ならぬ地域の人々だった。修一さんの知人、メラルさんが通っていた日本語学校の友人たち、総勢約70名もの人々が、助けに駆けつけてくれたのだ。慣れない農作業に汗を流し、剪定作業やトラクターの操縦、そして収穫まで、多くの方が力になってくれた。
困難があったからこそ、改めて修一さんの人脈や、これまで守ってきたものの大きさが感じられた。言葉や文化の壁を越えた「助け合い」の輪が、新たな光をもたらしたのだ。「流した涙のすべてを、この果樹園の一本一本の樹が受け止めてくれた」とメラルさんは語る。
農業に励む中で知った、たくさんの人の助けと温かな「日本人の心」、そこにはより一層深い絆が結ばれた。エミーレさんもまた、母の背中を見て大きく成長した。幼いながらも両親を支えた、その強さは「子でありながら母親のような大きな心のよりどころであった」とメラルさんは話す。家族が寄り添い、支え合い、困難を乗り越えた日々は、かけがえのない思い出として今もこの地に根付いている。


土と夢が息づく、家族のあした
病から回復した修一さんは、支えてくれた多くの人々への感謝を胸に、改めて家族の大切さを噛みしめている。「奥さんがいなかったら、ここまで来られなかった」──その表情には、深い愛情と感謝が溢れていた。
メラルさんも、「もし生まれ変わっても、やっぱり修一さんとこの地で農業をしたい」と、静かな決意を込めてほほえむ。日本の四季の移ろい、土に触れる喜び、そして何よりも「人と人が通じ合い、助け合う心」は、家族で分かち合ってきた計り知れない財産だ。
その想いは、エミーレさんにも確かに受け継がれている。幼い頃から両親の背中を見て育ったエミーレさんの夢は、「果樹園を継ぐこと」だ。
「家族で力を合わせて、この園を守り続けたい」──SNS運営やキッチンカーでの販売にも挑戦している。そんな娘の姿を、修一さんは温かく見守り、そっと背中を押している。
砥山ふれあい果樹園の豊かな土壌は、果実だけでなく、家族の絆、人々の温かさ、そして「応援の力」という、かけがえのない宝物を育んできた。この地で紡がれる物語は、これからも土と人々の愛が織りなす、生命の輝きそのものとして息づいていくだろう。

