家族と共に育む時間が新たな農業のカタチを切り拓く

新琴似地区組合員

宮本 憲一さん

「家族との農作業の時間が思い出になる」──取材時に憲一さんが話してくれた言葉は、農業は単なる生業ではなく、家族の絆を深める大切な時間であることを教えてくれた。

元システムエンジニア、
父の農園を受け継ぐ

屯田兵の歴史が息づく札幌市北区屯田に位置する宮本農園。開拓の勇気と誇りが刻まれた風景は、歴史と自然が調和している。取材に訪れたこの日は冷たい冬の風が去り、桜が美しい花を咲かせ、開花を告げる日となった。

宮本家は明治20年頃に屯田地区に入植。5代目となる憲一さんは、就農して現在5年目を迎える。ゆめぴりか、ななつぼしといったお米をはじめ、さつまいも、馬鈴薯、アスパラ、小豆などの作物を併せて10ha作付けしている。憲一さんはかつてIT企業でシステムエンジニアとして勤務。49歳の時に、父の二三男さんの農園を継ぐことを決意した。

「昔から頭の片隅には農業への想いはありましたね。特に母親が亡くなってからは、父にも負担もかかるし、農園のことはもちろん常に家族のことが心配で」と憲一さんは話す。

心の奥底に秘めた農業への情熱と、家族への愛情は大地に根を張る大樹のように、静かに強く育まれていた。

「元気でいる間は農業を続けていきたいね」と話してくれた農業一筋の父・二三男さん

ここにしかない
おいしい循環型農業

憲一さんは、スマート農業に関心があり、ドローンの活用や、小豆のインターネット販売など、先進的な仕組みを積極的に取り入れている。

この取組には、二三男さんの考え方が色濃く反映されている。農業歴63年となる二三男さんは、YouTubeでスイカの作り方を調べるほど、新しい知識を求め、未知の世界に果敢に挑む好学の士。その血を受け継ぐ憲一さんも、幼少期からトラクターに親しみ、機械が好きな青年に育った。

システムエンジニアとして働いている間も「システムエンジニアとしての技術を農業に活かせないか」と常に考えていた。満を持して農業の世界に船を漕ぎ出した今、前職の経験を存分に活かした農場経営を行なう。

近年では、収穫まで3年かかるというアスパラの栽培にも着手。憲一さんが「アスパラをやろう」と言い出した時のことを二三男さんは「新しい挑戦だから心配だった」と振り返る。しかし現在では、「美味しくてとても甘い」と多くの方から声が上がるほどの人気となった。

アスパラの生産は、時代にマッチした「循環型農業」を実践。宮本農園で育てたゆめぴりかの稲藁や米糠を堆肥として利用し、無駄のない農業を実現している。特に米糠を使うことで、アスパラが甘くなるという効果を実感し、「宮本農園にしかでしかできないこと」と自信をもって語る。

春の訪れと共に芽をだしたアスパラ。

家族の絆を大事に
新しい未来を拓く

様々なことにチャレンジし、未来を見据えた農業に取り組む憲一さんだが、最も大切にしているのは「農業での家族との時間」。取材に訪れた日、憲一さんと二三男さんの親子二人で播種作業を行っていたが、互いに多くは語らない。親子の間には上質な無言の時間が流れ、互いの心が静かに響き合い言葉を超えたコミュニケーションを感じた。

二三男さんに、憲一さんが農園を継いでくれたことについて尋ねた際、「自分のやってきたことや土地を守ってくれることは嬉しいことだね」と穏やかに微笑みながら話してくれた言葉はスーッと心に入ってきた。

憲一さんに将来の展望を聞くと「家族と楽しい農業を末永く続けながら親子で新しいことに挑戦していきたいね」と語ってくれた。その言葉から、思い出を育む親子の絆が、時の流れとともにさらに深まる未来が見えたような気がする。

そして、今後親子の挑戦が138年前この地に入植した屯田兵のように、勇気と誇りを以て、まだ見ぬ農業のカタチを切り拓いていくに違いない。

籾播種機による籾撒き後の冠水。
芽出しした種籾。