時の流れの中で、変わらないもの。そして守るべきもの。

中央地区組合員

柿原 正文さん

昭和39年から続く園芸店には、時代が変わっても決して色褪せない、店主・柿原正文さんの静かな情熱が息づいていた。先代から受け継いだ「良質」へのこだわり、そして地域への温かい眼差し。時の流れの中で、変わらずに守り続けているものとは──。

丘の上の園芸店、その柔らかなまなざし

札幌の街を見下ろす藻岩山の麓。木々の緑が一層濃くなるこの季節、緩やかな坂道を上っていくと「柿原園芸店」が姿を現す。

取材に訪れた日、店頭には、まるで優しい微笑みをたたえているかのようなパンジーたちが静かに並んでいた。この花は園芸店の歴史とともに、店主・柿原正文さんが種から育て見守ってきた、特別な存在だという。

ハウスに足を踏み入れると、アリッサムの甘美な香りと、大地そのものの温かさが、そっと私たちを包み込む。平日の昼下がりにもかかわらず、店内には次々と人が訪れる。地元の人はもちろん、評判を聞きつけ、遠方から足を運ぶ人や30年以上通い続ける人もいるという。柿原さんと話す常連客の笑顔が、園芸店の温かさを物語っていた。

「自分の作ったものが、どういう風に喜ばれるか。それを直接感じることができるのが、店頭に立つ意味なんです」

そう語る柿原さんの表情は、陽の光を浴びた花のように穏やかだ。お客さんの困りごとには、親身になってアドバイスを送る。プロの確かな目で選んだ苗と、手入れのポイントまでを丁寧に伝える。真心の感じられる姿勢が、多くの人々の心を捉えて離さないのだろう。

通常、直径9cm のポット(3号)を使う場面で、柿原さんは12cm(4号)や15cm(5号)のポットを使う。

良質な苗への静かなる情熱

柿原園芸店の歴史は、昭和39年に始まる。柿原さんの父がこの地で農業を始め、やがて園芸店へと形を変えていった。一度は東京で就職した柿原さんだったが、30 代で故郷に戻り、家業を支えることになる。父の他界後、25年という月日が流れた今も、柿原さんは妻恵子さんとともに、園芸店を守り続けている。

「良いものを作りたいですよね。やっぱりね。良い苗を作りたい」

飾らない言葉にひそかな情熱を滲ませる。「良い苗」のために譲れないのが、ポットの大きさで、一般的に使われるサイズよりも一回り大きなポットを選ぶ。この選択は、土を多く使い、場所も取るため、決して効率が良いとは言えないが、根がのびのびと育ち、植え替え後の活着が良い苗が育つ利点がある。そこにこそ柿原さんの信念があるのだ。

「根っこなどの見えないところが一番重要ですよね」

先代から受け継いだその信念は、今も変わらない

季節の花と土が醸し出す温い香りが広がるハウス。
井戸水を浴びて健やかに育つ紫のパンジー。

時代や形が変わっても守りたい想い

13年前、柿原さんは本誌の取材に対し、「円山西町」という土地への深い愛着と、これまで支えてくれた人々への感謝の思いを語った。そして今も、その気持ちは色褪せていない。町内会や神社への花の提供、地域の伝統行事への参加。柿原さんの行動は、常に地域と共にありたいという願いに根ざしている。

二人の息子たちは、それぞれの道を歩んでいる。後継者という問いかけに、柿原さんは静かに微笑む。

「俺も継ごうと思ってたわけじゃないからね。息子には、好きな道を歩んでほしい」

たとえ園芸店の形が変わろうとも、体が動く限り、良いものを届け続けたい。その言葉の端々から、揺るぎない覚悟が伝わってくる。

13年の時が過ぎ、様々なものが変わった。それでも、柿原さんの心にあるのは、「先代から引き継いだものを守りたい」という強い思いと、「地域への貢献」という変わらぬ指針だ。この日も、西町会館の花壇には、柿原さんが定植したパンジーが咲き誇っていた。

紫のパンジーの花言葉は、「揺るがない魂」・「誠実な愛」。

春の光の中で咲くパンジーのように、静かで、しかし確かな情熱を胸に、柿原さんは今日も店先に立つ。そして、柿原さんの柔らかな笑顔は、これからも訪れる人々の心をそっと温めてくれるだろう。

園芸店を見守る柿原さん手作りの看板。