農業・地域・時代を紡ぎ生産者としてのストーリーを届ける

篠路地区組合員

熊木 大輔さん

「「札幌の生産者だからできることを追求しながら消費者と繋がっていきたい」そう話してくれた農業と地域を紡ぐ4代目を追いかけた

厳しい冬を乗り越え
芽生えた苗

札幌市北区の総合公園として、昭和58年に開園した百合が原公園。夏には、シンボルである約100種類のユリが咲き競う。熊木農園を訪れたこの日は、春を告げるスノードロップも蕾を開き、風に揺れていた。百合が原公園から程近くに熊木農園のハウスがある。祖父の盛一郎さんが上富良野から昭和16年に入植。百合が原をはじめ篠路地区で札幌伝統野菜の札幌黄をはじめスイートコーンなど約30品目を6ha作付けしている。4代目の大輔さんは、就農して15年目。現在は、妻のひとみさんや母の敦子さん、妹の真由美さんも手伝いながらの家族経営。農産物の栽培に関しては大輔さんが指揮を執り、ひとみさん、敦子さんは、主にJAさっぽろ「しのろとれたてっこ生産者直売所」の出荷等を担当する。

この日は、札幌黄の育苗シルバーシートをはがす作業が行なわれていた。太陽の光や気温を細かく確認しながら、シルバーシートをはがすタイミングを計る大輔さんの眼差しは真剣そのもの。その振る舞いは何か苗に語りかけているかのようにさえ感じる。シートを少しずつはがし始めると、水滴をまとった小さな苗が春を待ちわびていたように顔を出す。シートを纏い白色だったハウス内が一面鮮緑に様変わりし艶やかで美しい。そして、安堵の気持ちからかハウス内の熊木さん家族の表情も自然と綻んだ。

10年前、本誌の取材の際に撮影したツーショット写真

農業を愛でる

熊木さんを取材して印象的なのは家族の「笑顔」。

「農業って本当に楽しいんです」と話してくれた言葉通り、終始家族で仲睦まじく作業を行なう。大輔さんやひとみさんと話していると自然とこちらも笑顔になってしまう魅力の持ち主。少しでも接した人なら誰もがその人柄に魅力を感じ、心豊かな空間に引き込まれる。同時に農業を心から楽しみ、農業を愛でる揺るぎない信念を感じる。

それを象徴するのが、以前JAさっぽろ青年部でスープ専門店とコラボレーションした際の大輔さんのコメントだ。

「札幌黄は1玉1玉に個性があり、形や生育の速さもみんなそれぞれ。個々の表情を見ながら、『今何かしてほしいことはないか?』と語りかけながら育てています。個性豊かな玉葱だけに、みんなの要望を一つ一つ聞いていくのは大変ですけどね。それでも栽培を続けるのは、北海道に住む多くの方から長年愛されているから」

農業を心から愛している大輔さんだからこそ生まれる根幹を成す力強い言葉。

札幌黄を我が子のように育て、愛情を注ぎ、札幌で生産する誇りと伝統野菜を守り抜く覚悟に改めて胸を打たれる。

10年前と同じ場所での記念撮影。今回は亮太君も一緒に

大輔さんの農業の“夢”

熊木農園では直売所での販売を主軸に学校給食への食材提供に取り組み、地元での消費を意識している。熊木さんが地域にこだわるのは、心の深い部分で感じていた地産地消の大切さと顔が見える販売への想いが根本にあるからだ。直売や身近な場所での販売は、直接消費者から反応がもらえ、それが原動力に繋がるという。

「農業の良いところは世代を超えて繋がれるところ。給食の食材提供も更に増やして、子ども達に地場産品を食べてほしい。食育授業など出来る範囲で自分も父から引き継いできたので、喜んでもらえることがあれば今後も取り組みたいね。生産者としての想いやストーリーを直接消費者に伝えるって農家にしかできないから」

自身のことに留まらず、地域や次世代の将来のこと、広く深い視野で想いを馳せる大輔さん。心から農業を楽しみ、地域との繋がりを広げる夢にワクワクが止まらなくなった。

この日は、長男の亮太君が作業を最後まで手伝っている姿があった。

「亮太は農業に興味あるんだよね。特に収穫の作業が好きって言っていて。実際に継いでくれるかはわからないけどね」とひとみさんが話す。

「継承」、今から10年前の本誌の取材で大輔さんが記した言葉のように、大輔さんの背中を追いかけ、熊木農園をそして札幌伝統野菜「札幌黄」を継承する5代目の姿が目に浮かんだ。

作業終了後に記念撮影。左から大輔さん、亮太君、ひとみさん、敦子さん
親子そろって苗の生育を確認。二人の動作がシンクロ
シートから顔をだしたキラキラと光る苗