秋の澄みきった空に、手稲山の稜線がくっきりと浮かび上がる朝。冷涼な風が吹き抜けるこの地で、石田宗士さんは欧州生まれのブドウに情熱を注ぐ。一目惚れから始まった栽培は、家族の直売所「すなやま」を照らす希望だ。
宗士さんの
譲れない基準
札幌市北西部、手稲区前田。10月下旬、手稲山から吹き下ろす冷たい風が畑の土をしっかりと締める。父・均さん、母・朱美さん、祖母・百子さん、そして宗士さん。家族が力を合わせて紡ぐ日々には、確かな歴史と土地へのひたむきな愛情が息づいている。石田農園では、10棟のハウスと露地でほうれん草や小松菜など、20品目以上の野菜を育てている。夏には畑が色とりどりの恵みで賑わい、秋が深まる頃には晩生のブドウが静かに深い甘みを湛える。宗士さんは、代々受け継がれてきた蔬菜やブドウを大切に守り続けてきた。
「学生時代は農業を継ぐことは考えていなかった」と宗士さんは語る。だが、父の背中や手間隙かけて育てた作物、そして直売所「すなやま」の存在が、宗士さんの心に静かに根を張ったのだろう。その農業への姿勢は実直で、まさに職人そのものだ。
「自分が食べておいしいと思えるものを作りたい」
このシンプルな言葉こそが、石田農園の変わらぬ味の基準となっている。そんな宗士さんにとって、特別な思い入れのある作物が「ピッテロビアンコ」だ。
偶然の出会い
心に落ちた、衝撃の一粒
その出会いは、約10年前、旅先の余市でのことだった。
「偶然知り合ったブドウ農家が育てていた実を口にした瞬間、美味しくて衝撃を受けた。すぐに自分でも作りたいと思った」
普段はおとなしく、口数の少ない宗士さん。しかし、ハウスの一隅でブドウの一粒一粒を見つめながら語るその言葉は、固い決意を確かめるように、強く、優しく響いた。宗士さんが一目惚れしたブドウは、イタリア語で「尖った白」を意味する欧州品種。晩生で、収穫は10月頃まで。市場にはほとんど出回らない希少な存在である。
春には魚粕を肥料として使い、秋口には化学肥料で後押しするが、温度管理はほとんど行なわない。冷涼な手稲の気候が、この欧州品種の栽培に奇跡的に合っていた。宗士さんがピッテロビアンコを作る理由は、ただ一言「このブドウが好きだから」。
「決して安くはないのに、毎年遠くから買いに来てくださる方もいる。喜んでもらえると素直に嬉しい」
宗士さんの言葉には、ピッテロビアンコへの揺るぎない情熱と、作り手としての喜びが込められている。
家族で支える「すなやま」
温もりの直売所
宗士さんが心を込めて育てたブドウをはじめ、石田農園の作物はすべて家族経営の直売所「すなやま」に並ぶ。ここは地元の人々にとって、新鮮な恵みを得る場所であり、心を通わせる温かな交流の場でもある。訪れる人々には、安心と笑顔が広がり、地域に根ざした暮らしの温もりが息づいている。
棚には、石田農園が丹精込めて育てた野菜やブドウ、そして朱美さん手作りの味噌が並ぶ。味噌の販売は、もともと祖母が保健所の許可を取得し、母が受け継いだもの。何十年もの時を超えて続く、手仕事の結晶だ。ある日、店を開けると、常連のお客さんがエコバッグを手にやってきた。「カブ、すごいな。大きいな」と目を丸くする声。「大きすぎたら、半分に切ったのもあるよ」と朱美さんが優しく応じる。飾らない、弾むような会話が、地域に愛される直売所ならではの風景だ。
朱美さんに宗士さんについて尋ねると、あたたかい眼差しでこう話す。
「息子は息子のカタチでやってくれたらいい。いろんなやり方をして、息子のカタチを見つけていってくれたらいい」
その言葉には、農業という道を選んだ宗士さんへの深い信頼と、わが子へのエールが込められている。
冷涼な風が吹き抜けるこの地で、家族の愛に支えられながら、宗士さんの「一目惚れ」のブドウは、これからも静かに実を結ぶ。そして「すなやま」には、これからも誰かの笑顔と、石田農園の温かい想いが、そっと灯っていくだろう。








