新規就農、6年目。生産部会と地域の仲間に支えられ、憧れの第2の人生へ

石狩八幡地区組合員

楢木 好恵さん

「家庭菜園が趣味の主婦」から、「ミニトマトを生産する農家」への転身。
家族と共に石狩市で就農した、楢木さんに話を聞いた。

健康で溌剌はつらつと。
家族で営む農業を求め

石狩市北部に位置する高岡地区は、緩やかな丘にハウスが立ち並ぶ、市内屈指の施設園芸地区。楢木さんは100坪ハウス8棟で、主にミニトマトを栽培している。

就農以前は、家庭菜園を楽しむ札幌市在住の主婦だった。夫の啓吾さんは道内を転々と単身赴任しており、そこで目にしたのは、高齢になっても健康で、溌剌と家族と共に農業を営む人たちの姿。

「うちは15年近くも遠距離生活で、子育ても一区切りしたし、第2の人生はあんな風にみんなで過ごせたらいいねって夫婦で話したのがきっかけです」

就農を決意した当初は、夫婦での就農を想定。ほうぼうの市町村へ当たったが、「年齢」が就農助成金の対象外なのを理由に全て断られてしまった。

「諦めきれなくて。生活があるので、夫には当面仕事を続けてもらい、まずは私が農業を学ぶことにしました」

次女の花梨さんと一緒に通ったのは、さっぽろ農学校。卒業の翌年は講師のもとで、数人の仲間と小規模ながら多種の野菜を生産販売した。そしてその仲間の紹介で訪れたのが、JAと市、農業委員会とで構成する石狩市農業総合支援センターだった。

「どうしても就農したい、夫もそのために早期退職を検討しているって、一生懸命に想いを伝えました」

熱意が通じ、勧められたのがミニトマトの栽培。これを機に啓吾さんも仕事を辞め、家族3人での就農生活が始まった。

農園の敷地に立ち並ぶ100 坪ハウス。どんな仕事も楽しく作業していると話す楢木さんだが、ビニールの上げ下ろしにだけは苦慮しているという

就農しやすい環境下で

当時からミニトマト部会(旧・高岡施設園芸生産組合)は、積極的に新規就農者を受け入れ、共撰出荷を行なっていた。

「新規就農者を温かく迎え入れ、研修指導や就農後の支援にも力を入れている部会です。共撰は、まとまった量を大市場に出荷できるから、価格が安定している。それはとても安心でした」

共撰の魅力はそれだけではない。撰果やパッケージ詰め、出荷はJAが行なうため、生産者は生産と収穫に集中できる。また、販路の確保に困ることもない。

5戸から始まった部会は、新規就農者を次々と受け入れ、現在19戸の農家が名を連ねる。約5ha、150棟のハウスで生産するミニトマトの、昨年の販売高は約2億1千万円。土壌改良や生産技術向上にも努め、平成16年度には、石狩市内で初めてのYES ! clean 生産集団として登録された。

「毎月欠かさず現地検討会も行ないます。全ての部会員が継続して、品質の良いものを生産できる体制を整えるためです」

就農初年度の秋、ハウスの冬支度に手間取った楢木さんの元に、部会の仲間が駆け付けた。別の日には、進まない作業を見かね、地域の方が進んでトラクターを貸してくれた。

「部会や地域の皆さんに支えられて現在がある。特に現・部会長の佐々木敬仁さんは、新規就農の先輩ということもありずっと気にかけてくれています」

支え合う意識が浸透した地域。就農しやすい環境が、そこにはある。

緑色の枝葉の中で、艶のある赤色が目を引く
読むのが難しい「楢木」という苗字。誰にでも分かりやすいよう、出荷箱はアルファベットで表記しているのがこだわり

仲間がいて、家族もいる。
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通常11月上旬まで収穫できるミニトマト。昨年は7月中旬に高温障害に見舞われて落花、10月中旬まで収穫ができなかった。

「今年は家族総出で対策を施したので、例年通りの収量が確保できそうです。困ったときは、家族みんなで考えます。仲間がいて家族もいて、ありがたいですね」

最盛期を除いては、家族のみの経営だ。意見の相違は、家族ならではのチームワークで乗り切ってきた。今春、長男の祐輝さんが就農し、この先5年以内の経営移譲を予定している。心強い味方が加わった、と楢木さんは嬉しそうに微笑む。

まだまだ、かつて啓吾さんの単身赴任で憧れた「先輩方」のような歳ではないけれど、憧れの第2の人生は今、着実に歩みを進めている。

イラストレーターでもある花梨さんが制作した農園看板
色づき始めた鈴なりのミニトマト。今年は万全な暑さ対策が施され、順次収穫を待つ
収穫適期の実を選りすぐる啓吾さん