「緑の星」に託す未来 地域・家族が育む 希望のほうれん草

豊平地区組合員

松本 吉弘さん

「親子で産地を守りたい」──20年前の取材で語られたその言葉は、「北極星のように変わらぬ輝き」と先人が名付けた由来通り、今も変わらず清田の大地に息づき、輝き続けていた。

大地の恵み、
育まれる生命

札幌東部、厚別川の清らかな流れが大地を潤す「清田」。古くから稲作が盛んで、豊かな恵みを育んできたこの地に、今、ひときわ輝く「緑の星」がある。地域に根付き、人々の暮らしに寄り添うブランドほうれん草、「ポーラスター」。

清田区有明の松本農園で、陽光を浴びながら、丁寧に育まれている命だ。

松本農園3代目の吉弘さんは、穏やかで優しい笑顔が印象的で、言葉のひとつひとつに温かな人柄が滲む。松本農園は一途にほうれん草単作にこだわり、15棟のハウスで年に3度、「ポーラスター」を栽培している。柔らかな光に満ちたハウスには、瑞々しいほうれん草の鮮やかな緑が広がり、あふれる生命力を感じさせる。松本農園では市場出荷に加え、「八紘学園農産物直売所」などで販売のほか、清田の学校給食にも採用され、子どもたちの成長を支えている。

「今年は本当に、すくすくと育ってくれていますね。葉がピンッと空に向かって立っているでしょう? これがいちばん元気な証拠なんです」

優しい眼差しでほうれん草を見つめながら語る吉弘さん。その一葉を慈しむ姿からは、生産者としての誇りが伝わってくる。そしてなにより、父、母、妻と家族が黙々と作業し、温かな絆に包まれた収穫・梱包の手仕事には、清田の農業の息吹と「ポーラスター」への尽きせぬ愛情が息づいていた。

青空の下、ほうれん草のハウスに見守られながら歩く、母・美栄子さん。

「独りじゃない」
気づきが、心を耕す

吉弘さんが、農業の世界に足を踏み入れたのは28歳の頃。それまで東京で映像関係の仕事に携わり、都会の喧騒の中、土とは無縁の暮らしを送っていた。幼い頃に土に触れた記憶はほとんどなく、札幌へ戻ってきても本格的に農業を継ぐ意識は薄かったという。

しかし、30歳を迎える頃、大きな転機が訪れる。それは、青年部に加入し地域の生産者と交わったことだった。そこで出会ったのは、農業に真摯に向き合い、情熱を燃やす多くの生産者たち。互いに知識を分かち合い、未来を語り合う熱気。「こんなに前向きな人たちがいるんだ」──その出会いは、吉弘さんの心に熱い火を灯した。

それからというもの、吉弘さんは農業に関する本を読み込み、積極的に講習会にも足を運び、貪るように知識を吸収していく。土壌の科学、作物の生態、そして先人たちの知恵。気づけば、農業の奥深い世界にすっかり魅了されていた。

「農業って、たった一人でやっていると、本当に孤独なんです。繋がりや、仲間意識を育む活動が、何よりも大切だと痛感しています。これからも、今までと変わらず、仲間たちと共に歩んでいきたいですね」

言葉のひとつひとつに、青年部で得た確かな絆への感謝が滲み出ていた。青年部というコミュニティは、まるで豊かな土壌のように、生産者同士の間に温かい循環を生み出していた。

ブランドが地域に根付くことを願い、7 年前に父・吉正さんが立てた「ポーラスター」の看板。
茎を伝う、やわらかな朝の光。

未来へつなぐ緑の願いい

こうした日々の営みの中で、吉弘さんが大切にしているのは、未来への想いだ。この土地に根ざした「ポーラスター」を、かけがえのない宝として次の世代へ繋ぎたいという、揺るぎない願い。そして、「多くの子どもたちに、この新鮮で安心なほうれん草を食べてほしい」という切なる想い。

「子どもたちには、ぜひポーラスターを食べてほしいですね。食育を通じて、心と体が豊かに育つこと、それが私にとって何よりの喜び。野菜が苦手な子も、この美味しさで克服してくれたら、こんなに嬉しいことはありませんよ」

今日一番の柔らかな眼差しで、力強く語る吉弘さんの言葉には、地域や子どもたちへの深い愛情が宿っていた。

松本農園をはじめ、先人たちが紡いできた想い。地域に根ざし、共に歩んできた仲間や家族との温かな絆──世代を超えて受け継がれる、そのすべての想いが「緑の星」となって清田の地で、これからも光り続けていく未来が見えた。

「圃場での家族写真は初めて」と、少し照れた様子で記念撮影。左から父・吉正さん、母・美栄子さん、吉弘さん、妻・はるみさん
20年前と同じ場所で父と息子のツーショット。
20年前の取材で掲載された広報誌『虹の大樹』2005.7.6。